* ポール・カ を着た悪魔?-- セゴレーヌ・ロワイヤル (ルモンドより)

                       
                    

これまでフランス大統領候補 セゴレーヌ・ロワイヤル女史の記事をちょこちょこ紹介してきましたが,肝心なコトを忘れてました。(←おい。)
セゴレーヌ・ロワイヤル とは,一体ナニモノなのか? 』
フランス全土に『 ロワイヤル現象 』を巻き起こし,一時は2007年の次期大統領当選が”ほぼ確実”とまで言われていたニコラ・サルコジ内相を不安にさせる唯一の対抗馬は,フランス最大野党・社会党(PS)の美しき女性知事。彼女のプロフィールをまとめた記事をルモンドが掲載したので,参考までに抄訳しておきますね。

 『 セゴレーヌ・ロワイヤル---30年間の孤独な道のり 』 ルモンド
2006/11/17付記事より
( D'après un article du Monde / Isabelle Mandraud / 著者:イザベル・マンドロー)
 1953年9月22日,ダカール。セゴレーヌ・ロワイヤルは,軍人ジャック・ロワイヤル(故人)を父に,エレーヌ・ドゥエイを母に持ち,8人兄弟の4番目に生まれる。幼いセゴレーヌにとって,専制的な父が支配する家庭から逃れるための手段が学業だった。ヴォージュ県のエピナル寄宿学校を経て,1978年,ヴォルテール同期 ( * 注①)としてÉNA(エナ=国立行政学院)に入学する。そこで彼女は,ドミニク・ド・ヴィルパン(* 現首相)やルノー・ドヌディウ・ド・ヴァーブル(*注②),そして現在の公私にわたるパートナーであり社会党第一書記であるフランソワ・オランドと出会った。
 『 自由を得るたったひとつのチャンスは,学業でよい成績を収め仕事を持つことだ,と幼い頃から思っていました』と,マダム・ロワイヤルは語る。『わたしの家では,娘は結婚して家事に専念するものだと決まっていました。その運命から逃れるためには勉強をして仕事を持つ以外になく,ひとつひとつその階段を上がって,少しでも遠くにたどり着きたかったのです』 パリ政治学院で学位を取り,経済学の博士号を得,ÉNAを卒業。その後,彼女は弁護士試験に合格し,1994年にパリ弁護士会に登録する。
 ロワイヤルはフェミニストであったにも関わらず,1970-1980年代のフェミニスト運動には一度も参加しなかった。個人プレー指向の彼女は孤高な戦いを好み,そんな彼女をフェミニスト達は決して快く思っていなかった。しかし,それはすでに過去のことだ。いまや,女性解放運動(MLF)の共同創始者アントワネット・フークをはじめ,女性の権利の向上に尽くした元大臣イヴェット・ルディなど,フェミニスト運動の著名人達がロワイヤルの大統領立候補を支持している。
 セゴレーヌ・ロワイヤルはフランス初の,社会党の女性大統領候補であるだけではない。彼女は,フランス初の母親ママンの大統領候補なのである。トマ,クレマンス,ジュリアン,フローラ・・・彼女は4人の子供の母なのだ。彼女は演説で必ずと言っていいほど,家族の大切さ---自分の家族もそれ以外の家族も---を訴えている。『わたしは,家族がどんなに大切かよく分かっています』と彼女は繰り返す。一番年長のトマは,母と戦いを共にしている。彼は会合にも出席し,”セゴスフェール( * セゴのエリアという意味)というサイトも立ち上げた。
 1978年,社会党に入党したロワイヤルを,ジャック・アタリ(* 注③)はフランソワ・オランドとともにスカウトし,エリゼ宮(* 大統領府のこと)のチームに招き入れた。ロワイヤルは,フランソワ・ミッテラン大統領の下で,青少年問題と社会問題に取り組んだ。国家の長のそばで注意深く観察しながら,彼女は権力の味を知ったのだ。また,親友であり,大統領のスーパーバイザーとして世論調査を担当していたシャルル・サルツマンからは,世論の何たるかを学んだ。
 1988年,ロワイヤルはドゥ・セーヴル(Deux-Sèvre)県のメル(Melle)市という,当時ほとんど注目されていなかった小さな選挙区から立候補する許可を得た。以来,彼女は毎回当選を果たし,それは社会党にとって苦しい年となった1993年(* 注④)でさえも変わらなかった。2年後には,市長の任期満了に伴いニオール市(Niort)を勢力下に治めるべく,同じく社会党の前市長に骨肉の争いを挑んだが,これはロワイヤルの敗北に終わった。
 39才にしてセゴレーヌ・ロワイヤルは入閣を果たし,1992年から1993年まで環境相を務め,1997年から2000年までは,学校教育担当相,児童・家族担当相を歴任する。これらのポストは重要性の面から軽視されがちだったが,彼女はその期間に経験と知識を深め,社会問題に対する立場を明確に打ち出すことに成功した。彼女はそれ以外にも,複数の法律や制令を制定している。たとえば,地方特産物の商品ラベルを制定し,学校内での恐喝や新入生歓迎の手荒い儀式(* フランスに根強く残る寄宿学校や名門校特有の特異な伝統)の実体を告発した。また,アフターピルを入手しやすくし,匿名出産法の改革に着手し,父親育児休暇制度を発足させた。現在のロワイヤルを支えるチームは,その当時から彼女に協力してきた仲間達で構成されている。
 2004年,フランスでは各地でバラ色の風(* バラはフランス社会党のシンボル→社会党旋風のこと )が吹き荒れ,ロワイヤルはジャン=ピエール・ラファラン(* 元首相)の支持基盤であったポワトゥー・シャラント地方を奪い取り,この地方を統率する唯一の女性となった。1年後には,大統領選出馬に向けて党内の公認を取り付けるために動き出し,その確固たる決意を見せつけた。顎を整形し,ファッションセンスを見直し洗練された彼女を見て,社会党員たちは,
『 セゴレーヌは ”プラダを着た悪魔ディアブル”ならぬ,”ポール・カを着た女悪魔ディアブレス”だね』(*注⑤)
とささやくのだった。
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 キーワード & 訳注 
*①ヴォルテール同期(Promotion Voltaire)
・・・1980年代にÉNAを卒業した世代を指す。この時代のエナルク(ÉNA出身者)には野心家が多いのだとか。
*②ルノー・ドヌディウ・ド・ヴァーブル
・・・または,RDDV。シラク大統領の下,ラファラン内閣に入閣するが,マネーロンダリングで有罪判決を受けたために内閣再編の折りには入閣を許されなかった。現在はド・ヴィルパン内閣で文化大臣を務める。
*③ジャック・アタリ
・・・フランスの超・大物政治家。政治・経済に精通し,国家のさまざまな要職を歴任。フランソワ・ミッテランの特別顧問としても活躍した。その幅広く強力な人脈は,政界だけでなくメディア,ショービジネスの世界にまで多岐に渡る。かつて,野心あふれる若きオランド=ロワイヤルのカップルを見いだし,政界にスカウトしたのも彼。
*④1993年
・・・当時の大統領はフランソワ・ミッテラン(社会党)であったが,議会で右派が多数議席を獲得したため1993年,二度目のコアビタシオン(いわゆる保革共存政権)が発足。右派のエドワール・バラデュールを首相に任命することを余儀なくされた。ちなみに最初のコアビタシオンでは,シラクが首相に任命された。
*⑤ポール・カ
・・・PAULE KA 。日本でも女性にはすっかりお馴染みですよね。モードだけど,あくまでシックでエレガントに徹するのが信条のフレンチブランド。セゴレーヌ・ロワイヤルさんはここのお洋服がとてもお気に入りのようです。デザイナーのイメージソースが,ジャクリーヌ・ケネディやヘップバーンなのも納得。

2 Comments

mllemouton  

なるほど、ありがとう。彼女はそういう人なのね。今後のニュースを見る目が変わるわ。 パン屋でやっと、指差しでなく、パンの名前を告げて、購入できるようになった私にとって、フラ語で政治の話なんて、1ユーロが100円になるぐらい、難しい話だわ。(今、街の良心的両替屋で1ユーロ、156円強、こわ~)そうそう、最近、rue St-Honoreに PAULE Kの新しい店舗がオープンしました。(あ~、私がピヨピヨちゃんに着いていけるのはこんな話題ですぅ。。。)

2006/11/25 (Sat) 17:59 | EDIT | REPLY |   

bébépiupiu*  

i-275 to: mllemoutonさん

マドモアゼル・ムトンさんだー!(゜ー゜*)
こんな長い記事(わたしは訳しただけですけど)読んでくださって
ありがとうございますi-265
これでも,かなり省略したんですけど・・・な,長いですよねi-229

いえいえ,ムトンさんは英語がもともとお上手だし,
そちらにいらっしゃるだけでフランス語は日々,上達なさってるはずですょ~i-221
ユーロ,そんなに高いんですか??あうぅ・・・。

ポール・カ,サントノレ店がオープンしたんですね!
ムトンさんったら,さすが情報早いです~。フフi-80

2006/11/25 (Sat) 23:46 | EDIT | REPLY |   

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