生きていくに充分な灯りを胸にともすまで---カウリスマキの 『 街のあかり 』


* Laitakaupungin valot / Les Lumières du faubourg / Réalisé par Aki Kaurismaki

この映画のテーマソング(←公式サイトです。音楽が流れます)を聴くと,
数々の美しいシーンがまぶたの裏側によみがえってきます。
(そういえば,北欧なのになんでタンゴ?
※フィンランドにもタンゴがあって有名なのだとか!メッセージくださった在仏の方,ありがとうございます~


久しぶりに,『 きっと,ずっと,記憶に残る大切な映画 』のマイ・リスト(往年の名画を除く)が
増えました。ちなみに最近は,ほぼ1年に1作品の割合で増殖中・・・。

”フィンランドの名匠”と称えられるアキ・カウリスマキ監督。
日本でもとてもファンの多い方だそうですが,
わたしがこの監督の名をきちんと認識したのは,
彼の作品が非常に高く評価されているフランスに住んでいた時。

同様にフランスで熱狂的なファンを持つスペインの巨匠ペドロ・アルモドバルが
情熱の”赤”で観る者の視界を焼き尽くすなら,
カウリスマキは光さえ届かない海底深くに沈んだ哀しみの”青”で
観る者の心を静かにうるおしてゆくかのよう。

というわけで,今日はカウリスマキの敗者三部作の最終章,”街のあかり”を紹介します。

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『 街のあかり ( Laitakaupungin valot) 』  あらすじ  公式サイトより抜粋・再構成・加筆)

フィンランドのヘルシンキに,ひとりの男が静かに生きていた。友人はいなかった。愛する人もいなかった。見守る家族もいなかった。ひとりぼっちの世界を生きていた。海辺でホットドッグ屋を営む女だけが彼を見つめていたのに,その店のあかりは彼の目には入らなかった---。

警備会社に夜警として勤務するコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は,その朴訥な性格が災いしてか,同僚からも上司からも気に入られず,黙々と仕事をするだけの日々を送っていた。簡易食堂に行っても,パプに行っても,彼を気にかける人など誰もいないのだ。影のように,彼はヘルシンキの場末で暮らしている。朝焼けが広がる空の下,コイスティネンは夜勤明けにホットドッグ屋に向かう。そこではいつもアイラ(マリア・ヘイスカネン)が彼を待っていた。

孤独な,しかしつつましやかに夢を見ながら生きるコイスティネンの世界に,ダリアのような猛毒が注がれる。その美しい女ミルヤ(マリア・ヤンヴェンヘルミ)がマフィアの情婦であるとも知らず,コイスティネンは生まれて初めて恋に落ちた。たとえ,その恋のたどり着く場所が,あかりのまったく灯らない,冷え冷えとした世界だったとしても---。

罠にはめられたと知っても,彼は一度信じたものを決して裏切らなかった。強盗の罪を着せられ,1年の服役が言い渡される。夏がすぎ,秋になり,冬になった。その間,アイラだけから手紙がやってくる。だが,コイスティネンが待っていたのは彼女からの手紙ではなかったのだ。アイラの手紙は一度も読まれることなく,彼の手で破り捨てられる。

春になった。刑期を終えたコイスティネンはレストランの皿洗いとして再出発する。出所したことも,居場所さえも知らせない彼を,アイラはいつものように何も問わず,ただ黙って見守り続ける。ささやかな希望を胸に寡黙に働くコイスティネンには,しかしさらなる不幸が待ち受けていた---。

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なんて不公平な世の中。負けるなコイスティネン!がんばれパユ~!(←犬)。起業家への道は遠いぞ!
捨てられた子犬のような目のコイスティネンが,いつのまにかムーミンに見えてくるのは何故?
 


最近の映画と言えば,シナリオがとても複雑で,時系列が前後したり,伏線が幾重にも張られていたり,監督のマニアックな謎かけがあちこちにちりばめられていたり・・・と,とにかく難解な傾向が好まれていただけに,カウリスマキの映画のシンプルすぎるほどの映画作りは新鮮なショックでした。極端に少ないセリフ,誰も泣かず叫ばず,オーバーリアクションを一切省いた役者たちのストイックな表情の動き,最小限の登場人物---かと言って,難解どころか非常に分かりやすい物語構成。それに重なるように美しい色と静かな風景,トゥーマッチなほどロマンチックな音楽。

ああ,そうか。難しく考えなくていいんだ。こんなにシンプルなのに,こんなに深く心に刻まれている。目で見て,心で感じた,それが本来の映画の姿---と,教えてくれた作品でした。そしてそれは,この映画が,監督が敬愛してやまないチャップリンの『 街の灯 』へのオマージュとして作られたことにも関係があるのでしょう。

そして何よりも,コイスティネンやアイラの悲しいまでに誠実な生き方が,”もはや世界中を探しても存在しない宝石のように,憧れの感情さえ伴って”,わたしたちに静かに語りかけてくれるのです。

美しい心を持った人間たちの,悲しく,けれど希望のあかりに祝福された物語。
映画館から出て,都会の超高層ビル群のすきまから仰ぎ見た空は,
雨上がりの,やさしい青色でした。
(梅雨明け間近だったんです,あのとき・・・)

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