* セシリア,権力より自由を愛した女性---サルコジ夫妻の離婚 【後半】


ELLE最新号はセシリアの独占インタビュー

前編からのつづきです。ちなみに,リスボンのEU首脳会議の記者会見で,ル・モンド紙のジャーナリストから離婚の件を問われたサルコジさん。不快感も露わに,『 ル・モンドほどの偉大な新聞がEUよりも私の私生活に興味があるとはね。(中略)あえて言わせてもらえれば,(君たちジャーナリストには)もうすこし
エレガントであってほしいものだ 』
・・・エレガント?いや,アナタにだけは言われなくないですから!・・・と思った人は少なくなかったはず。沈黙を守る(元)夫とは対照的に,セシリアさんはさっそくレスト・レピュブリカン紙やELLE(写真参照)に独占インタビューを許可。さすがセシリア,先手必勝。『 わたしは本当は,光の中で生きてゆくタイプじゃない。けれど,運命がわたしの背中を押し,わたしはそれに逆らえなかった 』 と自己分析。『 20年間,ずっとニコラ(夫)の影となって,わたしの人生すべてを彼に捧げ,尽くしてきた。彼との人生は決して平坦ではなかったけれど,これからはウソをつかずに自分の人生を歩んでゆきたい 』 のだとか。・・・全部信じるほどお人よしじゃないけれど。


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『 別離の時 / サルコジの黒い10月 (後編) 』
2007/10/18付
Le Nouvel Observateur | ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトワール紙

"l'Heure des Ruptures / l'Octobre Noir de Sarkozy"

par Carole Barjon ( カロル・バルジョン著 )


ならばなぜ,夫と初めて別居した後,セシリアは2006年6月,再びサルコジの元に戻ってきたのか?しかも,ギュイアンヌの海に浮かぶ丸木舟で撮影された夫妻のツーショットを仰々しく披露してまで---。それは,この夫妻特有の矛盾に満ちた関係をさらに超えたもの,すなわち彼らの愛の過程には政治が密接に関与していたからだ。マダム・サルコジは自由を愛すると同時に,壮大な野心にとりつかれた女性だ。確かに彼女は,“すべてを破壊する”政治の恐ろしさを身をもって痛感しただろう。しかし,彼女は同時に“権力の女”なのだ。その昔,セシリアとサルコジは出会ってすぐ,“いつかふたりで国会議事堂の階段をのぼろう”と誓い合った。当時,彼女は国会の広報を担当しており,1988年には国会議員としてのキャリアを歩みはじめたサルコジの広報官を,1993年には財務大臣となった夫の広報官を務めた。2004年には彼女自身,地方選挙もしくはヌイイ市(Neuilly)の市町村選挙に立候補する予定だった。そう,セシリアには夫に負けず劣らず,天性の政治家の血が流れているのだ。

アメリカ合衆国に恋人と逃避行をはかった後,2006年,セシリアは夫のもとに戻り,再びすべてを引き受けた。ただし,パパラッチたちのカメラのフラッシュを避けるため,彼女は影ですべてを取り仕切った。確かに大統領選挙中,サルコジ陣営では彼女の姿は滅多に見られなかった。しかし,1月14日,UMP(与党)公認の大統領候補の選出会を仕切ったのは彼女だったし,選挙中に夫ニコラの地方遊説や大規模な集会の綿密なスケジュールを組んだのも彼女だった。さらに彼女は,夫の大統領選の選挙ポスターまで監修した。サルコジの側近たちはそれをこころよく思わなかったが,だからと言って声を大にして彼女を非難できるわけがない---なぜなら,彼らはセシリアを恐れていたからだ。クロード・シラク(*シラク前大統領の娘)が父シラクにとってそうであったように,セシリアの介入は暗黙の了解事項だった。要は,セシリアが決めたことは絶対なのだ。いずれにせよ,セシリア・サルコジはよく働いた。なぜなら,夫妻の親しい知人によれば,セシリアは万が一 夫が大統領選で落選した場合,サルコジの側近たちがたとえ少しでも彼女のせいにするのを嫌ったからだ。

大統領夫人セシリアはエリゼ宮(*大統領府)の住人となってからも,今までどおり夫の広報に関わった。そして彼女は,前述のダヴィッド・マルティノン氏をはじめ,自分のお気に入りたちを次々に登用した。エリゼ宮と内閣に,自らの“セシリア・コネクション”の人材を配置したのだ。だがその後,彼女はそれらすべてに興味を失った。ニコラ・サルコジは,そんな妻にもそのうち慣れてしまった。大統領選で,そして,エリゼ宮で---それは,いつものことだったから。それでも夫は,事態が改善するよう尽力した。たとえば,ブルガリア人看護婦らの解放では妻にもっとも華やかな任務を託し,彼女の存在価値を世間に認めさせた。また,常に彼女のプライドを満足させ,パパラッチから守り抜いた。それは,サルコジ大統領をして,“わたしに唯一心配ごとがあるとすれば,それはセシリアだ ”,と言わしめるまでに---。ブッシュ大統領との会食では,セシリアのおかげで45分も遅れて到着する,という屈辱にもじっと耐えた。
そんなサルコジだったが,彼の知人たちによれば,1ヶ月ほど前から彼はもはや断念したかのように,すべてを受容するようになった。彼の親友のひとりが言うには,サルコジは“人間として出来る限りのことはした”と判断したようだ。サルコジは再び,友人グループと出かけるようになった。もはや,幼いルイ(サルコジとセシリアの息子)が父に連れられてサッカー競技場に行く姿も見られなくなった。サルコジはラグビーを観戦した後,レストラン “ラ・ブール・ルージュ”や“レベラート”でひと時を過ごした。彼の友人たちは,サルコジが時間をかけてゆっくりと過ごすようになったことに気が付いていた。もはや昔のように携帯にしがみつくでもなく,腕時計の針とにらめっこすることもない。以前のように帰宅時間を気にして,そわそわすることもなくなった。

ここ最近の彼の関心は,いかにメディアをうまく利用して(離婚の)情報をコントロールするかに集中していた。サルコジとセシリアの双方は,この困難極まりない状況から最小限のダメージで脱出すべく,それぞれが策を練っていたのだ。しかし,だからといってサルコジ大統領は,自分のスケジュールをほとんど変更しなかった。10月15日月曜日,妻セシリアとの20年間にわたる夫婦生活に今まさに終止符を打とうとしているとは思えないほど,大統領のスケジュールはほぼいつも通りだった。要は,いつもどおりの超過密スケジュールだ。慈善団体とのレセプション,アタリ氏が練り上げた経済成長見通し案の再検討,火曜日にはボルドー出張---つまり,通常どおりの1週間,というわけだ。その間に,メディアの追跡をかわし,うわさの流出や外国メディアからの嘲笑をなんとしてでも食い止めねばならない。すべては,離婚を正式に発表し,マスコミが一斉に報道し騒ぎ立てるその時まで---。それが,何年もの間,フランス国民に自分のプライベートを好んで見せびらかしてきた,このセレブリティな大統領に課せられた代償なのである。
( 完結 )

6 Comments

Denny Johpp  

「エレガント・・・。ほー、いいますねぇ、ミスタースクールボーイ」という感じです。<サルコジさん
メルケルさんからも距離おかれ始めているし、大丈夫でしょうか
・・・。

2007/10/24 (Wed) 08:09 | EDIT | REPLY |   

bébépiupiu*  

i-77 to : Dennyさん

ミスター・スクールボーイ!
英語圏の人からはやっぱりそう思われているんでしょうねぇ(^-^;;)
メルケルさんとは内務大臣時代から家族ぐるみのお付き合いだっといいますし,
セシリアなしではますます孤立しそう?


2007/10/27 (Sat) 23:32 | EDIT | REPLY |   

Denny Johpp  

>セシリアなしではますます孤立しそう?
でしょうねぇ・・・。周りの閣僚もどう対応したらいいのか迷って
いるのでは?

2007/10/29 (Mon) 09:19 | EDIT | REPLY |   

bébépiupiu*  

i-77 to : Dennyさん

そういえば,
セシリアの”お気に入り”として出世した人たちも
今ごろは戦々恐々としているかもしれませんね。


2007/11/02 (Fri) 21:40 | EDIT | REPLY |   

Denny Johpp  

CBSテレビのインタビューを打ち切ったサルコジさん。
「やることがある」と言ってマイクを投げたそうです。
セシリアさんのことを聞かれてキレたようです・・・。

2007/11/05 (Mon) 15:16 | EDIT | REPLY |   

bébépiupiu*  

i-77 to : Dennyさん

“60minutes”の番組ですよね?観ましたよ~i-77
フランスでも話題になってますもの(^-^*)

このインタビューで,わたしが少なくとも分かったことは
セシリア・コネクションの中で,誰かがまっさきにサルコジに“切られる“としたら,
それは哀れなマルティノンさん(大統領府広報)だということi-278


2007/11/07 (Wed) 01:03 | EDIT | REPLY |   

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