* フランソワ・バイル新党結成---裏切りのスパイラル (前編 / ル・モンド紙) 

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François Bayrou

サルコジとカルラ・ブルーニが交際,ねぇ・・・。わざわざ事前に記者に連絡して,ユーロ・ディズニーでカルラとのツーショットを撮らせたサルコジ大統領。カルラは確か,大統領選挙中ではセゴレーヌ・ロワイヤルを支持していたけれど,まあBOBO系ミュージシャンは”左派支持”がドレスコードみたいなものだし・・・。(個人的にはカルラよりも,姉の実力派女優でフランソワ・オゾン監督のミューズのひとり,ヴァレリア・ブルーニ・テデスキの方が気になります・・・) 折りしも大規模なストライキ,国際的非難を浴びたカダフィ大佐のフランス滞在・・・とサルコジにとって手痛いマイナス要素が続いた直後の絶妙なタイミング。・・・どちらにせよ,話題にするのもバカバカしいので,さっさと本題へ 今日は,新党MoDem(モデム)を結成した,おひさしぶりの中道派バイルさん。大統領選挙では『 第三の男 』 としてもてはやされたのも束の間,かつての仲間は次々とサルコジ側(与党)に寝返り,いつのまにか『 あの人は今 』 状態に。ここらで一発,新党結成で起死回生を図りましょ。今日の記事では,かつてバイルの盟友であり,今や内閣で華々しく活躍する錚々たる政治家たちが語る,バイル像。フランス政界の複雑な構図が垣間見えるよう。


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『 フランソワ・バイルと執念深い仲間たち
(前編) 』 
2007/11/30付
Le Monde | Politique | Patrick ROGER (パトリック・ロジェ著)
"A François Bayrou, ses amis rancuniers"  ル・モンド紙 | 政治 |
(*)は訳者による注釈

フランソワ・バイル(*注①)は奇妙なパラドックスを抱えている。12月1日に公表されるソフレスとフィガロ・マガジンの共同世論調査によると,バイルはフランスの政治家の中でも特に人気が高く,フランス国民のほぼ半分(48%)は,バイルが重要な政治的役割を果たすことを望んでいる。ところが逆に,バイルの政治キャリアに一時的にでも関わった政治家たちは,バイルに対し稀有ともいえる嫌悪感を抱いているのだ。前回の大統領選挙では,国民が自分自身を投影できる候補者として,バイルは急浮上した。ところがその後,バイルの”友人”らは,彼を激しく拒絶した。かつての盟友らはバイルを見限り,離党が相次いだ。それでもバイルの大統領選挙への出馬は,12月2日,新党”民主運動”(MoDem)の結成として実を結んだ。以下,かつての”バイル派”の見解を紹介しよう。

シモーヌ・ヴェイユ女史は1989年,欧州議員選挙で中道派を率いていた。かつて欧州議会議長を務めたヴェイユは,自分が首位当選するものと確信していた。ところがふたを開けてみればわずか8,41%の票しか獲得できず,5位に終わった。以来ヴェイユは,彼女の選挙対策局長だった人物をしつこく恨んでいるのだ。その男こそ,フランソワ・バイルだ。彼女は,バイルが彼女の選挙戦を”陰湿な方法で妨害した”というのだ。前回の大統領選では,彼女はニコラ・サルコジ支持を表明し,”バイルは最悪の候補者だ”とこき下ろした。

ヴェイユ女史は10月に出版した自伝,”ある人生”(Une vie)の中で,彼女が”狂信家”と呼ぶこの人物に一章を割いている。『 バイルは,”大統領になるべく神の啓示を受けた”と信じ込んでいる。このことを頭に入れておかなければ,彼の人物像を理解するのは難しいだろう。彼はこの妄想のためなら,自らの信念や味方,友人らを犠牲にすることもいとわない。この種の強迫観念に憑かれた人によくあることだが,彼は ”他人はみんな日和見主義者で常に陰謀をめぐらせている”と思い込んでいる。だから彼は,”ヴェイユが自分の政治キャリアに影を落とす”という被害妄想にとりつかれたのだ。なぜなら彼は,常に周囲が自分を妨害している,と思い込んでいるのだから 』

クリスティーヌ・ブタン(*現・都市住宅大臣)は,バイルが1998年にUDF(フランス民主連合)の党首になれるよう尽力したメンバーのひとりだ。2001年,彼女は党から距離を取り,2002年には大統領選に立候補し(獲得投票率1,19%で落選),その後自分が結成した社会福祉共和国フォーラム(FRS)と共にUMP(国民運動連合,与党)に合流した。『 バイルの冒険はそれこそ悲劇以外の何物でもなく,挫折に終わった 』 と彼女は告白する。『 すべてはバイルという,たったひとりの人物のエゴのために利用された。彼はかつて,才気あふれる人だった。私は自分の才能とノウハウを彼の信念のために捧げた。だが彼は,それをないがしろにした。周囲がバイルに提案する以前に,すでにシナリオは出来上がっていたのだ。すべては最初から決まっていた。 だから2001年,私はただちにUDFを離党したのだ 』

2002年,バイルが大統領選挙に出馬した時,彼の選挙運動の指揮をとったのが,ジャン=ルイ・ボルロー*現,環境・国土整備・開発大臣)だった。エルヴェ・モラン*現・国防大臣)がまだUDFの党首(*バイル)に忠実だった頃,彼はよく語ったものだ---第一回投票の直前,もしリヨネル・ジョスパン(*当時社会党書記長)が決戦投票に進出した場合に,バイルとジョスパンが政治同盟を組むべくフランソワ・オランドと交渉したのがボルローだった,と---。結局その後,ボルローはUMP(与党)とジャック・シラク(*当時大統領)に合流。ジャン=ピエール・ラファラン内閣とドミニク・ド・ヴィルパン内閣で大臣職を歴任した後,2006年春,CPE法(初期雇用契約法)による危機的状況(*注②)の翌日,ニコラ・サルコジ(*当時内務大臣)と同盟を組んだ。ボルロー氏は,バイルに対して個人レベルでの遺恨を抱いていない,数少ない人物のひとりである。『 バイルは,非常に構造化された性格の持ち主であり,自分の宿命を信じて疑わない人物だった 』 と,ボルローは語る。『 彼は,政党の中よりもむしろ,フランス国民との特殊で比類なき関係の中に,自身の存在意義を見出している。彼にとって重要なのは,彼の党に属する議員の数ではなく,フランス国民と対話できる自らの才能なのだ 』 と環境相は付け加えた。『 私は彼に何の借りもないし,彼も私に借りなどない。だから,我々はいがみ合う必要などないのだよ 』
( → 【 後編 】につづく。)


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 キーワード & 訳注 
*① フランソワ・バイル・・・
2007大統領候補プロファイルNO.3---フランソワ・バイル 』 参照。
*② CPE法の危機・・・
CPE(セーペーウー)は,当時首相だったドミニク・ド・ヴィルパンが提案した26歳未満の若者を対象とした労働契約に関する新法。雇用に先立ち2年間の試用期間を設け,この期間中,雇用者は理由のいかんに関わらず自由に解雇できる。労働者保護の手厚いフランスでは,一度雇用すると解雇が非常に困難といわれ,CPEは若者の雇用に二の足を踏む企業に対する雇用促進対策として提案された。しかし反対に,労働者側の雇用を不安定にし,労働者を安易に切り捨てる口実を与えるとして,学生や労働組合などが大規模なデモ行進やストライキを強行。一部の大学では学生と保安機動隊が激しく衝突するなど,フランスは混乱に陥った。ド・ヴィルパンは法案を撤回せざるを得なくなり,シラク大統領の腹心であり最有力後継者と目されていたド・ヴィルパンは事実上の失脚。サルコジの顕著な台頭を許すきっかけとなる。

4 Comments

DennyJohpp  

CPEはまだ燻っているような印象を受けています。日本も3年前
のようなことになるのかも・・・、と危惧しています。

2008/01/18 (Fri) 08:23 | EDIT | REPLY |   

bébépiupiu*  

i-77 to : Dennyさん

日本は,改革ごとに大規模なデモとかストライキがあるお国柄じゃないですし,
労働組合の組織力や,それに対する市民の連帯感もあまりなさそうなので,
与党政治家にとってはやりやすそうだなあ,とは思います・・・。

2008/01/20 (Sun) 22:32 | EDIT | REPLY |   

DennyJohpp  

>労働組合の組織力や,それに対する市民の連帯感もあまりなさそうなので,

たしかにらっせふぇーるというつもりなのでしょうが(意味は
違うのでは、と思いますが)・・・。どうなんだか・・・。

2008/01/22 (Tue) 08:03 | EDIT | REPLY |   

bébépiupiu*  

i-77 to : Dennyさん

わー懐かしい!
確か高校の世界史(?)で習ったような★

確かに,れっせふぇーる並に
すべてを理解した上での”上から目線”ならいいのだけど,
実際はその政策がもたらす結果を予測できていない気がします・・・。
・・・わたしも含めて(笑)。

2008/01/24 (Thu) 22:39 | EDIT | REPLY |   

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