【ルモンド社説】 ルワンダ虐殺とフランスの告白 Vol.1


image by © Le Monde


"Les mots justes"(原文)  2010/02/27 | Éditorial | Le Monde |
「 的確な表現 」 | ル・モンド紙  | 社説 | (*)は訳者による注釈  

ルワンダ虐殺から16年、首都キガリにおいて2月25日、ニコラ・サルコジ氏は当時のフランスの対応を形容する適切な表現を見出した。フランスは当時、「恐ろしい犯罪」の責任者であるハビャリマナ政権(*フツ族)を軍事的に支援し、結果として80万のツチ族の命が犠牲になったのである。

フランス共和国大統領は「フランス国民の名において」、”虐殺されたツチ族犠牲者の追悼碑”に敬礼した。そして、フランスと仏軍の汚名を雪(そそ)ぐという大義名分の下に、「二重のジェノサイド」説を主張するためフツ族に対する虐殺を前面に押し出した人々を、サルコジ氏は明確に糾弾した。大統領はフランスの「重大な判断ミス・盲目的(*軍事支援)・政治的な過ち」を認め、公平とは言えないまでも、初めて正確な自己診断を下したのである。

またサルコジ氏は、近年アングロ・サクソン圏に接近を図っているルワンダの外交政策を非難することを拒んだ。それはかつて、フランソワ・ミッテラン元仏大統領がフランスの“縄張り“(プレ・キャレ)保持を理由に、ハビャリマナ一派の独裁下にあった(対ツチ族)差別主義的ルワンダ体制を支持する強力な根拠となった、“ファショダ・コンプレックス”(*①訳注)との決別であった。

大統領の声明は、この新ドレフュス事件(*②訳注)のキーパーソンすべてを満足させることはできないだろう。すなわち、あらゆる明白な証拠に反してフランス軍が虐殺の共犯者であると主張する者たち、そして逆に、ルワンダの悲劇を単なるアフリカ民族間における暴力の頂点の具現化に過ぎないと主張する者たちの反発は必至だ。

しかし、フランス大統領の今回の第一歩により、フランスは中央アフリカにおける外交に再び一定の立場を占めるだけでなく、アフリカの人々の目にも、ルワンダ虐殺での過ちにより汚点を残したフランスのイメージ回復に一役買うであろう。ニコラ・サルコジはフランスを傷つけるために罪の告白に着手したのではなく、フランスが背負った重荷を軽減しようとしているのだ。

では、フランスは過ちを認めるだけに留まらず、ルワンダの旧宗主国であるベルギーや、ビル・クリントン政権下のアメリカ、あるいはコフィ・アナン時代の国連がそうしたように、さらに踏み込み、犯した罪を悔いるべきだったのだろうか。いや、フランスは後悔以上の、フランス-ルワンダ間で長らくタブーとされ続けた事実を明らかにするための考察と歴史的研究を行うべきである。また、ルワンダでの教訓は、フランス国外における軍事介入の是非を民主的に判断する有力な根拠となる。そして、過去のアーカイブ、特にフランソワ・ミッテラン元仏大統領に関する資料を公開することで、フランス-ルワンダ間の悲劇に横たわる闇の部分が明らかにされ、真の和解への準備となるだろう。(終) ( 拙訳 : bébépiupiu ) 
*   *   *   *   *   *   *   *


 キーワード & 訳注 
①ファショダ・コンプレックス・・・
1880年代よりヨーロッパ列強により激しく争われたアフリカ分割の過程において、イギリスの大陸縦断政策とフランスの大陸横断政策の交点として、英仏軍が武力衝突を直前に回避した舞台となったのがスーダン南部のファショダである。アフリカ諸国の独立後も、フランスはフランスを旧宗主国とするアフリカ諸国に対し、財政援助と軍事的支援により緊密な関係を維持している。以上を踏まえ、フランスのアフリカ大陸における、「伝統」とも言うべき対アングロサクソン圏のパワーバランス外交政策を指す。

②新ドレフュス事件・・・
ルワンダ・ジェノサイドにおける当時のフランス政府の隠蔽工作、(結果的な)軍事支援により、その後のフランス政府(軍)の威信の失墜をもたらした経緯が、ドレフュス事件後のフランス軍弱体化を想起させたものと思われる。

0 Comments

Leave a comment