【ルモンド/見解】 ルワンダ虐殺とフランスの告白 Vol.3


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記事の時系列が前後してしまいましたが、以下の記事は2月27日のルモンド紙社説「的確な表現」の前提となったものです。


"Au Rwanda, Nicolas Sarkozy doit trouver les mots justes"
   2010/02/24 | Point de vue | Le Monde |
  「 ルワンダにおいて、ニコラ・サルコジは的確な表現で表明すべきである 」
   ル・モンド紙  | 見解 |アラン・デステクス著※ | (*)は訳者による注釈  
 

今週、サルコジ大統領はキガリ(*ルワンダの首都)を訪問する。ベルナール・クシュネル(*仏外相)の直接行動主義により、フランスとルワンダは根本的な意見の相違を解決しないまま、国交を復活させた。ルワンダ政府、そして特に生存者達は、まずはフランスがルワンダ大虐殺の責任を認めることを望んでいる。

1990年、ルワンダ愛国戦線(RPF)による攻撃後、ベルギーはハビャリマナ政権への軍事支援を停止し、フランスがその後を引き継ぐ形となった。フランスは日を追うごとに軍事支援を拡大した。すなわち、フランスはルワンダ兵の数を5倍に増強し、武器を供給し、軍事訓練を施し、さらにはRPFに対抗すべくフランス人兵士まで採用したのだ。フランスの支援がなければ、ハビャリマナ政権は崩壊していたであろう。RPFの軍事的かつ非常に活発な反政府運動を前に、ハビャリマナ一派はジェノサイド勃発早々に逃走した。そのような状況下、アルーシャ和平協定(*RPFの政権参画と国連平和維持軍の派遣を認める協定)が締結されたにも関わらず、フランス政府のハビャリマナ政権に対する支持は変わらなかった。かの地にフランスの存在がなければ、ジェノサイドは勃発し得たであろうか。

この重苦しい過去に、フランスは立ち向かうことが出来ずにいる。1999年、国会の調査団は当時のフランスのミスを認めたが、機密情報の守秘義務および、当時の責任者(*バラデュール、*ヴェドリンヌ、*レオタール)が事実を完全には認めなかったため、それ以上の捜査に着手することができなかった。フランソワ・ミッテランにおいては、ルワンダについて決して語ろうとしなかった。フランス国内に逃亡した“虐殺”の容疑者15人に対して訴状が提出されたが(中には15年前に提訴されたものもある)、奇妙なことに手続きは中断されたままである。一方、ブリュギエール仏判事の捜査により、カガメ大統領の側近であるローズ・カビュイがドイツで逮捕された。彼女はフランスへ移送された後、釈放されている。そして今、ルワンダが要求する裁判をフランス当局が恐れているのは歴史の皮肉ともいうべきか。なぜなら、この裁判はただちに、かつてルワンダでフランスが果たした役割となるからだ。フランスより関与の薄い他の国々は、みずからの過ちを認めた。2000年、ベルギー首相ヒィ・ヘルホフスタットはキガリで次のように宣言した。「国際社会全体に多大な責任がある。度重なる致命的な怠慢、楽観主義、無能、躊躇、過ちによって、言語に絶する悲劇を生み出す条件が整えられてしまった。私はあなた方の前で、我が国とベルギー政治関係当局およびベルギー軍の名において責任を取る。我々はまず、みずからの責任と過ち(中略)を認めなければならない。わが国と我が国民の名において、私はあなた方に謝罪する」

1998年、ビル・クリントンもアメリカの責任を認めている。「大量殺人が始まった時、我々は迅速に行動を起こさなかった。難民キャンプが、殺人者の容易な標的になることを防ぐべきだった。我々はあこの犯罪を速やかに正しい呼称、すなわち“ジェノサイド”と呼ぶべきであったのだ」

ルワンダのジェノサイドにおけるフランスの関与はまぎれもない事実だ。今後の慎重な捜査で明らかにすべきは、その関与のレベルのみである。そのためには、フランスとルワンダの混合調査団を設置するのも一案だろう。

ジェノサイドから15年経った今、いかなる守秘義務が捜査を阻むというのか。ユダヤ人虐殺におけるフランス当局の関与について、ジャック・シラクはヴェル・ディーヴ(訳注*)で的確な表現を見いだした。ツチ族に生まれたという、ただそれだけの理由で殺されなければならなかった数十万もの人々---男性、女性、子どもたち---の虐殺に関して、サルコジ大統領はフランスの(その一端を担う)責任を認めることができるだろうか。フランスとルワンダの真の和解は、そこから始まるのだ。

※アラン・デステクスト : ベルギー上院議員、ルワンダ・ジェノサイドに関するベルギー上院調査委員会の発起人であり、幹事。1994年、MSF(国境なき医師団)総書記を務め、同年、Complexe社より出版されたジェノサイドに関するエッセーの著著でもある。(終) 
( 拙訳 : bébépiupiu )
 

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 キーワード & 訳注 
エドアール・バラデュール(Édouard Balladur)・・・
フランスの右派政治家。社会党ミッテラン大統領下の第二次コアビタシオン(保革共存政権)において、保守派として首相を務める。(第一次コアビタシオン時の首相はジャック・シラク)
ジャン・ヴェドリンヌ(Jean Védrine)・・・ミッテランの旧友であり、ミッテランが大統領となってからも常に側近として助言したが、公的な役職を望むことはなかった。1950年代、アフリカ大陸で独立運動が高まる中、緊迫したモロッコ情勢を受け、ミッテランに「唯一の解決方法」としてフランス保護領であったモロッコの独立を認めるよう進言する。また当時、アルベール・カミュらと共に「北アフリカにおいて、平等な法の下に人権が差別なく保障されるよう」声明を発表している。
フランソワ・レオタール(François Léotard)・・・
ミッテラン大統領下の第二次コアビタシオンで国務相および国防相に任命され、ルワンダにおける軍事作戦「ターコイズ(トルコ石)作戦」の指揮を取った。ちなみに、その後に行われた大統領選では、ニコラ・サルコジと共にバラデュールを支持したが、バラデュールは第一回投票で同じく保守派の大統領候補シラクに大敗している。
ヴェル・ディーヴ(Vel' d'Hiv)・・・パリ15区のVélodrome d'Hiver(”冬の競輪場”)の略。第二次世界大戦中、ドイツナチス軍の指示により、フランスの親独ヴィシー政府はパリおよび近郊のユダヤ人の一斉検挙を行った。約1万3千人のユダヤ人が逮捕され、そのうち半数近くがヴェル・ディーヴに集められ、後に強制収容所に送還された。フランスからアウシュヴィッツ収容所に送られたユダヤ人のうち4分の1以上が、このヴェル・ディーヴの一斉検挙によるものであったという。1995年、当時フランス大統領であったシラクは、ヴェル・ディーヴの追悼碑の前で、フランスの責任を認める演説を行った。

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