【ルモンド記事】 中央アフリカ、フランス、アフリカ大陸の希望

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12月5日付ル・モンド紙より。



Le nouveau chaudron africain”(原文)
  2013/11/27 | Éditorial | Le Monde |
 「 アフリカ大陸の新たな湯釜 」 | ル・モンド紙  | 社説 
  (*)は訳者による注釈  
 


 今からそれほど遠くない昔、中央アフリカ共和国で現在起こっていることは大して珍しいことではなかった。中央アフリカは、強力な隣国の支援を受けたゲリラが、現政権を追放し、腐敗、縁故採用、怠慢に侵された体制を生み出すブラックアフリカ諸国の1つに過ぎなかった。中央アフリカは、いずれにせよ疫病と貧困にむしばまれ、あまりにも若くして死ぬ運命にある国民の一部が戦争を逃れ、難民キャンプに詰め込まれる国々の1つに過ぎなかった。その国は、最終的に旧宗主国(フランス)が秩序回復と称しては、傀儡の大統領を別の操り人形に代えるためにパラシュート部隊を送り込む国だった。戦争、略奪、貧困、弱肉強食・・・それがアフリカだ、と運命論者はため息をつく 。

 だが、それは違う。現在の中央アフリカ共和国(RCA)は、アフリカでむしろ稀なケースだ。そして、フランス軍によるマリ共和国とRCAへのほぼ同時の軍事介入は、旧列強宗主国による「干渉的政策」ではない。今回の件は、アフリカ大陸において決して絶望的な現実ではない。なぜなら、アフリカ大陸における主な内戦の数はここ10年間で減り続けているからだ。内戦の数は減少し、以前のような激戦ではなくなっている。

 冷戦後の1990-2000年の時代、すなわち、アフリカ全土で10年間に渡る憎悪がアフリカに数百万の犠牲者をもたらした狂気の時代を忘れてはならない。以来コンゴ民主共和国と呼ばれる巨大なザイール共和国は、当時、いわゆる「アフリカにおける世界第一次大戦」の舞台であった。内戦は少なくとも9カ国を巻き込んだ。ルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、ジンバブエ、チャド、スーダン、ナミビア、アンゴラ、そして当然ながらコンゴ民主共和国だ。

 ザイール共和国から遠く離れたスーダンでは、イスラム教徒の北部とキリスト教徒及びアニミズム信仰者の南部間の数十年に及ぶ内戦で国は荒廃した。アンゴラのゲリラ組織はいまだその名を轟かせ、ソマリアは崩壊した。シエラレオネとリベリアは互いに内戦に苦しんだ。エチオピア軍は、エリトリア兵の塹壕に大規模な襲撃を仕掛け、いわゆるアフリカ版ヴェルダンの戦い(*第一次対戦で仏軍と独軍が衝突したフランス北東の激戦地)を繰り広げた。そして、1994年のルワンダの虐殺も忘れてはならない。

 アフリカ大陸は、植民地時代と冷戦の後遺症に苦しみ続けた。ヨーロッパの列強が恣意的に線引きした国境上で、独立戦争が繰り広げられ、米ソ二極化体制時代の汚職政治を受け継ぎ、政権と経済は不安定になった。21世紀初頭、アフリカは度重なる市民戦争あるいは国家間戦争に浸食された。そしてようやく、「2012年、いくつかの例外を除き、アフリカの全ての戦争は終結し、安定と経済成長を享受するに至った」とチャタム・ハウス (イギリス王立国際問題研究所)は分析する。

 アフリカ大陸は、和平と実りの港になったのだろうか。お人よしな解釈は必要ない。


(終)

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